栃木県の産業廃棄物、一般廃棄物処理なら真田ジャパングループ,那須高原リサイクルパーク,日本リサイクルアドバイザー

株式会社 真田ジャパン

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栃木県那須塩原市井口198-1

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創業ストーリー
創業ストーリー

創業ストーリー

真田ジャパングループは昭和43年に「有限会社西那須真田」として創業し、永年にわたり多くのお客様と地域の方々に支えられ今に至ります。創業して以来、今までの道のりは決して平坦なものではありませんでした。しかし、その中でも多くの方々に支えていただけたのは、当社が大切にしている「人の幸福」という経営理念があったからです。
今までの感謝と共に、これからも皆さまのお役に立ち続け、そして、私達を成長させ、よりよいサービスを提供する原動力となっていただける皆様方に、私達の今日までの歩みをご紹介させていただきます。
今までも、そして、これからも皆さまのパートナーとして真田ジャパングループは成長してまいります。

  • 第一創業期
  • 第二創業期
  • 第三創業期
  • これからの真田ジャパン

第一創業期

五月女商店
五月女為造が、満州から引き揚げ後に、小山市にて金属等の古物取扱い業務として「五月女商店」を開始。
その後に塩原を拠点とした
有限会社西那須真田 創業
東京を拠点とした空瓶商である「真田」から、那須地域での拠点開設要望を受けて、会社設立を決意。空瓶の卸売業として「有限会社西那須真田」を設立。当時の「真田」は東京、宇都宮、郡山、仙台、秋田と拠点があり、その一拠点としてのスタートであった。
五月女明氏 入社
高校卒業後、東京で1年間の丁稚修業後に戻る(19歳)。敢えて、「真田」を選ばず、人に使われることを学びたく、違う空瓶商に修業をお願いする。
新規開拓営業開始
実家に戻ることを伝えると、父が中古の50万のトラックを用意してくれていた。そのトラックに乗り、配達の合間に新規開拓営業をし始める。人は清潔感が無いと相手にしないと思い、シャツ、ズボン、靴まで真っ白な服装で、飛び込み営業をした。そこで綺麗な服装の大切さを実感した。
白河営業所 開設
経済も上向いていく時代でもあり、また木箱からプラ箱への転換も進み始めた。そして福島でも顧客があったことから、新たに福島県白河に拠点を開設した。父からは反対された出店であったが、母が背中を押してくれて出店を決意。人に任せたものの、自らの管理ができておらず、白河営業所は3年で撤退閉鎖となる。損失は600万円にもなったが、父は怒らなかった。今思うと、父は失敗することを解っていたのだろう。他人に任せる難しさを知る。
空瓶問屋業として成長
一方で自社分だけでなく問屋業としても持込が増えていき、
10T車3台レベルまで拡大していった。
"大田原市からカレットを受託"
ビンの売り上げは上がっていったが利益は出ずに、社長の給料も取れなかった。仕入(買取り)は競合があり、売り先は大手ビールメーカーの為に、双方を押さえられる事業での限界を感じる。その後に価格主導権がある事業への転換を模索するようになっていった。

西那須野町から、一般廃棄物収集運搬処理受託

第二創業期

産廃のキッカケ
五月女明が空瓶回収途中に、とある住宅会社の建築現場を発見。端材等のゴミを見て、妻に直ぐに営業に行くように連絡。ここでタイミングとスピードの重要性を知った。
産業廃棄物 収集業務開始
住宅会社からの廃棄物業務を円滑にする為に、FAXと10万円の2Tトラックを購入。
主力顧客からの取引打ち切り
主力顧客の1社から、単価が高いとして取引を打ち切られた。お客様の当社売上比率が高まると打ち切られるリスクが高まる。廃棄物処理は当社においては売上であるが、お客様にとっては費用であり、コストである。コストアップは縮減の対象となる。売上が上がっているから良しとするのではなくお客様の立場で考え、お客様の声を聞く姿勢が必要と感じる。
有限会社から株式会社へ組織変更
資本金1000万円に増資。
社長交替
廃棄物事業の強化によって利益率の改善を目指す。
あの会社へ入りたいと言われる会社にしたい
仕事はあるが、社員さんの確保が出来ない。居てもすぐ休むことも多かった。あの会社へ入りたいと言われる会社にしたいと決意。

蝶ネクタイのユニフォーム導入

報道機関にも取り上げられ始める
企業文化が認められ、報道機関(下野新聞、NHK等)に取り上げられる。

㈱日本リサイクルアドバイザー設立

廃棄物事業の成長
廃棄物事業も順調に成長。売上比率がビンを大きく越えるようになっていき、利益も大幅に増加していった。
ISO14001認証取得
環境保全事業として他社との差別化を図る為に、同地域では先駆けてISO14001を導入した。しかし一方で、「変わること」に対して役職者(チーフ)4名の一斉退職にも繋がってしまった。しかし結果として、一般社員さんの成長に繋がり、社風の改善にもつながっていった。
事故
当社処理工場で死亡事故が起きてしまう。お通夜・お葬式で家族(親族)より「会社を畳んで欲しいと」との話がでれば社長は会社を畳もうと考えていた。亡くなった社員さんのお母さんより「いつも会社に楽しそうに行っていた。今回が本人の寿命だった」と言ってくれた。朝、元気に会社に来てくれた社員さんに、必ず元気に帰宅してもらうと誓う。また、事が起こった時に日頃の姿が問われることを学ぶ。
真田ジャパングループに変更
平成16年に市町村合併により、西那須野町がなくなる。それを契機として、社名変更を決意。当時から「真田さん」と呼ばれることも多く、また今後、より会社を大きくし、日本全国に名が知れ渡る時が来ることを願い真田ジャパンとした。
人員不足の悪循環
行政の施設が遠くなったこと、仕事も順調に増えていった結果、夜まで回収を行う程になってしまう。当時はお客様の要望にスピーディーに応えようと、一生懸命であった。しかし一方、で仕事も覚えつつある若手社員の退職にも繋がり、更に人員不足となることで社員が働きづめになってしまった。仕事量と体制の管理もできておらず、また中間処理も持っていない為に、効率化はできていなかった。
顧客の減少
産廃は運搬のみだった為、費用が他社より高く、徐々に顧客が減少していく。

第三創業期

那須高原リサイクルパーク㈱設立
中間処理業参入を決意。

ご家庭応援隊 開始

那須高原リサイクルパーク㈱中間処理業許可取得
真田ジャパングループとして別会社の創業であり、(株)真田ジャパンに頼りながらのスタートとなった。
市町村の回収業務入札へ
随契から競争入札になり落札するが利幅減少。次回(5年後の入札)は落札できないかもしれないと今から新たな柱となる事業の構築を本格的に考える。
後のご家庭なんでも応援隊事業の全国展開へと繋がっていく。
大口顧客が内製化によってゼロとなる
大手ハウスメーカーが廃棄物処理を内製化することとなり、数千万円/年の売上がゼロとなる。
リーマンショックによって賞与カット
リーマンショックで2008年冬のボーナス一部削減。しかし翌2009年夏のボーナスに削減分を上乗せ支給することができた。

ご家庭応援隊 全国展開開始

グレーカンパニーアワード
「働く社員が誇りを感じる会社賞」受賞
㈱船井総合研究所 グレートカンパニーアワード「働く社員が誇りを感じる会社賞」受賞。

これからの真田ジャパン

真田ジャパングループは、今まで時代の流れと共に成長をしてまいりました。そして、2006年から新たに立ち上げるに至った「ご家庭なんでも応援隊」は、今までの当社のサービスに対する姿勢を体現したものと言ってよいでしょう。「お客様にプロとしてサービスを提供し、お客様に喜んでいただくこと。そして、その結果として対価を頂戴すること」。応援隊では、お客様と直接声を聞いてサービスを提供する為に解りやすいと思いますが、その想いは私達の業務全てに共通するとも思っています。
真田ジャパングループは、この想いを絶やすことなく、これから先の何十年と変わらず、安心と満足頂けるサービスを提供し続け、そしてより多くの方々の幸福を追求する会社として成長をしていきます。

事業紹介

  • 産業廃棄物処理業
  • 一般廃棄物処理業
  • ご家庭なんでも応援隊
  • 機密文書
  • 蛍光灯リサイクル
  • 残地物撤去
  • グリストラップ
  • 低濃度PCB廃棄物
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